36 そして、母になる①

【妹のオグマイです】


『35』のブログから一年が経ち
私も36歳になりました。(随分前だけど)

最近、母になるにあたり
考えることがあるので
節目として
徒然なるままに書いてみようと
思います。


高校時代、親友がつぶやいた言葉が

今でも深く心に残っている。

彼女のお母さんは看護師で

彼女が小学生になった頃、

仕事を再開した。

そして、彼女にこう言ったそうだ。


「看護師は私の転職よ!」


その話をする彼女の顔は
どこか誇らしげだった。



当時、看護師を目指していた私は

「私もいつか自分の子どもに言えたらいいな。」

と、心の中でひそかに思っていたのを覚えています。


でも、現実はそう甘くはありませんでした。


社会に出てから

要領のよくない私は

普通の人より歩みが遅く、
指導する先輩たちは手を焼いていました。


「普通の人はできるんだけどね。」

「どうしてそんなにできないんだろうね。」

「仕事できないなら生きてる意味ないよ?」

「そんな働き方で金もらっていいと思ってんの?」

仕事のできる先輩たちは口々にそう言いました。



たくさん努力はしたけど、普通レベルにも届かない私。

「私が先輩にこんなこと言わせてしまっているんだ。申し訳ない。」

病院で働いていた頃は、それしか思えませんでした。



気が付いたら私は

うまく呼吸ができなくなったり

食事が食べられなくなったりしていました。



回復したものの

病院で、どう頑張ればいいかわからなくて、頑張りませんでした。

「みんな頑張ってるんだから、もっと頑張ってよ」と言われたけど、

頑張る私はそこにはいなくて、最後は疎まられるように病院を去りました。


結局、助産師になってから、分娩病棟に行くことはできませんでした。



助産師と看護師の大きな違いは

分娩介助に関する業務をできるということ。


助産師は、

分娩介助をしてなんぼの世界。

助産師同士の合言葉は

「何件とった?(分娩介助を何件させてもらったかという意味)」


大先輩に会うと

「助産師は、なんといってもお産よ!やらなくてどうするの?」


一般の人からは

「助産師さんって、お産手伝ってくれる人ですよねーすごい!どれくらいお産やってるんですか?」


ママたたちからは

「お産の時、助産師さんがいてくれて、本当によかったと思った。本当にいい仕事だよね」


分娩病棟ではなく、産後病棟やNICUにいることを告げると

「じゃ、元助産師さんってことですか?」



病院で分娩介助を経験してこなかった私は、助産師じゃないのかもしれない。。。。

常に、その思いがありました。


病院という組織になじめず

助産師の教育体制から外れてしまい

みんなが当たり前にできることができない私。



看護師時代もふくめ
こんな状況でも、私が助産師(看護師)という仕事から離れなかった、
離れられなかったのは、

「オグマイさんと話せて本当によかった」

というママたちの言葉が忘れられなかったから。

その言葉を聞くたびに、

私はママたちに救われて

そして、ママたちを救いたい、笑顔にしたいと強く思ったから。


「仕事できないなら生きている意味ないよ」

「分娩介助ができないなら、助産師じゃないよ」

そんな言葉を言われ続けてきた私にも、まだできることがあるんじゃないかと、かすかな希望を握りしめて、少しずつ外の世界に出ていくことにしました。



はじめの一歩を一緒に踏み出してくれたのは、姉でした。


「ヒルズブ!」という
六本木ヒルズを拠点としたコミュニティあり、大人が楽しめる部活が 
いくつもありました。姉はそのコミュニティの幹事の一人でした。
当時、ヒルズ内の企業に勤めるみなさんと出会い、「みんなで繋がったら楽しいよね」というようなノリで立ち上げたそうです。


姉に連れられて行ったヒルズブ!には、朝から夜まで
元気な人たちがたくさん活動していました。

そこで元気をもらった私は
今度は元気をあげる人になりたい
とまで思うようになりました。


半年後には企画する側になり、

ヒルズブ!を通して

さまざま人たちと出会いました。


仕事は相変わらずでしたが、
一般のビジネスのコミュニティや

本業である助産師や母子を支える専門職のコミュニティにも

参加するようになりました。



そして数年後、

姉が妊娠し、

豪ちゃんが生まれました。

自然と、姉から妊娠、出産、育児についての質問をされて、答えるのが日常になりました。


「いま、育児が楽しいと思えるのは、妹ちゃんがいてくれたからだと思う。」

その言葉を聞いて、
そう言ってくれるママが増えるといいなぁ。
そんな気持ちで
この姉妹の育児ブログを始めました。

ただ、正直、姉からの質問には

病院の経験だけでは答えられず、

専門書や勉強会で学びつつ、病院外で会ったみなさんに相談に乗ってもらっていました。


ブログを見てくださった方から
「読んで本当によかったです。これからも楽しみにしてます!」
とコメントをいただいたり
また、記事の執筆依頼もくるように
なりました。

それが嬉しく、そして楽しく
「私は書くことも好きなんだな。」
と気付くことができました。



気がついたら

私の人生は
さまざまな人たちに支えられて
とても豊かなものになっていました。



「先輩。仕事ができなくても生きている意味ありますよ!」

いまは胸を張って、そう言えます!!笑



いまは、こう思います。


そもそも

ママたちを笑顔にするのに

分娩介助のできる助産師である必要はあるのか。

助産師だけが

ママたちを救いたいんじゃない。

さまざまな職種の人が

ママたちを支えたいって思ってるんだ。 


結局、
分娩介助できる、できないに
こだわっていたのは、私。


周りから何を言われても、自分のできることを信じてやればいい。


できないことはできないと言って、

できる誰かにお願いすればいい。


だって、私にはたくさんの仲間たちがいるんだから。



今さらだけど

当時、助けてくれた同僚や先輩

話を聞いてくれた両親

いつも楽しいことを運んでくれた姉

元気をくれたヒルズブ!のみんな

母子を支えるということのやりがいを教えてくれた助産師や専門職のみなさん

へなちょこだった私を好きになってくれた夫


みなさんのおかげで

いま生きてて、お腹の中にごえもんがいるんだと思います。

本当にありがとうございます^_^



これからどうなるかはわからないけど、

ごえもんが無事に生まれて大きくなったら、私は言ってみたいな。


「助産師がおかあさんの天職よ!」って^_^




つづく












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