36 そして、母になる①
【妹のオグマイです】
今でも深く心に残っている。
彼女のお母さんは看護師で
彼女が小学生になった頃、
仕事を再開した。
そして、彼女にこう言ったそうだ。
「看護師は私の転職よ!」
「私もいつか自分の子どもに言えたらいいな。」
と、心の中でひそかに思っていたのを覚えています。
でも、現実はそう甘くはありませんでした。
社会に出てから
要領のよくない私は
「普通の人はできるんだけどね。」
「どうしてそんなにできないんだろうね。」
「仕事できないなら生きてる意味ないよ?」
「そんな働き方で金もらっていいと思ってんの?」
仕事のできる先輩たちは口々にそう言いました。
たくさん努力はしたけど、普通レベルにも届かない私。
「私が先輩にこんなこと言わせてしまっているんだ。申し訳ない。」
病院で働いていた頃は、それしか思えませんでした。
気が付いたら私は
うまく呼吸ができなくなったり
食事が食べられなくなったりしていました。
回復したものの
病院で、どう頑張ればいいかわからなくて、頑張りませんでした。
「みんな頑張ってるんだから、もっと頑張ってよ」と言われたけど、
頑張る私はそこにはいなくて、最後は疎まられるように病院を去りました。
結局、助産師になってから、分娩病棟に行くことはできませんでした。
助産師と看護師の大きな違いは
分娩介助に関する業務をできるということ。
助産師は、
分娩介助をしてなんぼの世界。
助産師同士の合言葉は
「何件とった?(分娩介助を何件させてもらったかという意味)」
大先輩に会うと
「助産師は、なんといってもお産よ!やらなくてどうするの?」
一般の人からは
「助産師さんって、お産手伝ってくれる人ですよねーすごい!どれくらいお産やってるんですか?」
ママたたちからは
「お産の時、助産師さんがいてくれて、本当によかったと思った。本当にいい仕事だよね」
分娩病棟ではなく、産後病棟やNICUにいることを告げると
「じゃ、元助産師さんってことですか?」
病院で分娩介助を経験してこなかった私は、助産師じゃないのかもしれない。。。。
常に、その思いがありました。
病院という組織になじめず
助産師の教育体制から外れてしまい
みんなが当たり前にできることができない私。
「オグマイさんと話せて本当によかった」
というママたちの言葉が忘れられなかったから。
その言葉を聞くたびに、
私はママたちに救われて
そして、ママたちを救いたい、笑顔にしたいと強く思ったから。
「仕事できないなら生きている意味ないよ」
「分娩介助ができないなら、助産師じゃないよ」
そんな言葉を言われ続けてきた私にも、まだできることがあるんじゃないかと、かすかな希望を握りしめて、少しずつ外の世界に出ていくことにしました。
はじめの一歩を一緒に踏み出してくれたのは、姉でした。
半年後には企画する側になり、
ヒルズブ!を通して
さまざま人たちと出会いました。
本業である助産師や母子を支える専門職のコミュニティにも
参加するようになりました。
そして数年後、
姉が妊娠し、
自然と、姉から妊娠、出産、育児についての質問をされて、答えるのが日常になりました。
ただ、正直、姉からの質問には
専門書や勉強会で学びつつ、病院外で会ったみなさんに相談に乗ってもらっていました。
気がついたら
いまは胸を張って、そう言えます!!笑
いまは、こう思います。
そもそも
ママたちを笑顔にするのに
助産師だけが
さまざまな職種の人が
ママたちを支えたいって思ってるんだ。
周りから何を言われても、自分のできることを信じてやればいい。
できないことはできないと言って、
だって、私にはたくさんの仲間たちがいるんだから。
当時、助けてくれた同僚や先輩
話を聞いてくれた両親
いつも楽しいことを運んでくれた姉
元気をくれたヒルズブ!のみんな
母子を支えるということのやりがいを教えてくれた助産師や専門職のみなさん
へなちょこだった私を好きになってくれた夫
みなさんのおかげで
いま生きてて、お腹の中にごえもんがいるんだと思います。
本当にありがとうございます^_^
これからどうなるかはわからないけど、
ごえもんが無事に生まれて大きくなったら、私は言ってみたいな。
「助産師がおかあさんの天職よ!」って^_^
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