36 そして、母になる(番外編?)〜未来が消えた日〜
【妹のオグマイです】
あぁ、『36 そして、母になる②』は大体書いてあるのに、
それよりも書きたいことがあって
書き終えてしまった。
いつもながら
徒然なるままに書いてます^^;
「子どもの教育資金と老後のことを
考えたら、病院やクリニックでフルタイムで働いた方がいいね。社会保険がきちんとあるところで。子どもが大学卒業するまでとしたら、ちょうど定年くらいまで働く感じかな。」
それが、専門家としての夫が提案した
我が家のライフプランだった。
私の性格と育児を考えて
病棟勤務や夜勤はやらなくていいよ
とも言ってくれた。
現実的に経済的なことを考えたら
夫のプランは正しい。
そもそもクビになった私が、
この現状を招いているのたがら。
でも、私は思ってしまった。
「私は、いつ自分のやりたいと思える仕事(活動)をするんだろう?65過ぎてから?」
と、夫に聞いてみると
「まいちゃんには、育児があるじゃない。(やりたいことは育児でしょ?という意味)」
という返答だった。
私の人生は一筋縄じゃいかなくて
自分が思ったていたよりも
ずいぶん遠回りはした気がする。
異文化コミュニケーションの夫に出会ってからは葛藤の日々だったけど
他人(夫)を理解しようとすることで
自分を知る機会がふえた。
今までの経験とその経験が合わさってか
一つずつパズルのピースが
はまっていくような感覚で
私のやりたいと思えるものが
見えてきた。
ちょっと前まではそれが嬉しくて
未来にワクワクしかなくて
ごえもんに
「助産師がお母さんの天職よ」って
言える気がしてた。
でも、夫の返答を聞いた瞬間
その未来がまるで見えなくなった。
「助産師がお母さんの天職よ」
って言える未来が消えた気がした。
流産したあの日の私からしたら
とても贅沢なことを言っているんだと思う。
でも、妊娠してクビになってから、
席を譲ってくれる人、体調を気遣ってくれる人、地域の施設の人など、
母と子を支えてくれるさまざまな人たちに出会って、
「こういう人たちが身近にいてくれるからこそ、私も安心できてて、だから、ごえもんは育ってくれているんだな」
と実感しました。
「病院じゃなくて
もっと手の届くところで
母子に寄り添いたい。そんな形の仕事(活動)をしたい。」
そう思ってました。
もともと現場の最前線にいなかった私は、キャリアなんて考えたことなかった。
でも、今なら少しだけわかります。
育児でキャリアが途絶えるとか
育休後、やりたい仕事につかせてもらえないとか。
ごえもん
こんなこと思って、ごめんね。
私のことだから
なんだかんだで
きっと乗り越えるんだと思う!笑
でも今回は、心の変化の記録として
溢れ出た気持ちは残していこうと
ブログに書き記してみました。
姉は口グセのように、こう言います。
「お金のために働くのは好きじゃない。
そんなのハッピーじゃない。私は、好きな仕事でお金を稼ぐ。家族にとって
どうしたらハッピーなのか考える!」
うん、おねーちゃんらしい^_^
私たち家族にとっての
ハッピーはどこにあるのか
まだわからない。
でも、また一緒に探していこうね!
家族3人で^_^
とりあえず
ごえもん!元気に生まれておいで!
写真は大好きなUmiのいえ@横浜で
スリング初体験!!
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