お台場卒業物語①
【妹のオグマイです】
「小川町に住まない?」
我が家の始まりは
いつも夫の何気ない一言から
始まります。
せいちゃんが誕生してからというもの
毎日がほぼほぼ幸せでした。
ほぼほぼなのには理由があって
「まいちゃんが働けば、
我が家の生活は豊かになるよ」
「兄弟はいた方がいいよ。子どもは2人は欲しいよね。」
「子どものために、もっと保険に入りたいね」
無邪気にそう話す夫。
でも、現実は
保育園激戦区の港区。
フルタイムのママたちでさえ
落選通知をもらうこの地域で
戻る職場のない私が
保育園入園の切符を手に入れるのは
容易ではない。
やりたい仕事じゃなくて
お金のためにする仕事。。。
生活の豊かさってなんだろ。
お金じゃないと思いつつも
やっぱりお金も必要か。
ぐるぐる廻る
ぐるぐる巡る思考。
そんな矢先の
「小川町に住まない?」発言。
八方ふさがり、行き詰ってた私は
「家族をスタートさせるのに
いい場所だな」
直感で、そんな風に感じた。
次の瞬間
私は、予定の調整、実家に車を借りる連絡をし、翌週には小川町を見に行くことにした。
小川町は
夫の職場の工場近くで
週の2/3は工場、1/3は東京の本社に通っていた。
夫は、2時間かけて通っているうちに
住みたいと思ったらしく
すでに物件も探していた。
夫調べによると
家賃は今の半分でひろさは1.5倍!
待機児童ゼロ!
山にも行きやすい!!笑
私が調べてみると
埼玉県は移住を推進しているらしく
小川町移住サポートセンターというものがあった。
そこにいたのがスタッフの八田さん。
最初はメールで
「小川町って、どんな町ですか〜」
から始まりました。
八田さんは一児の母なので
その目線で物件や保育園の選び方についてアドバイスもくれて
「エレベーターなければ、ベビーカー軽くしてみては?」とか
「この保育は、町の中でも一番歴史があって、親子三代通ったりしてる人もいますよ〜」とか。
時には、
「そうなんですね。
それは、ダンナさんとよく話し合って下さいね〜」と
暴れ馬な私を落ち着かせてくれることもありました。笑
メールや電話だけで
会ったことのない八田さんに
一目会いたいという気持ちが募り
10〜15分しか空いてる時間ないのに
会いに行ってしまったくらい。
突然の訪問にもニコニコ対応してくれて
帰り道も「晴一郎くん大丈夫でしたか?」と気遣ってメールをくれました。
八田さん以外にも
この町出身の若手不動産屋さんが
町の祭りや花火のことを話してくれたり
食堂のおじちゃんおばちゃんが
せいちゃんが泣いてしまったら
「抱っこしてあげるから、食べなさい」と、お会計まで抱っこしててくれたり
お団子屋のおじちゃんが
「早く引っ越しておいで〜」と言いながら、あん団子をごり推ししてきたり。
行くたびに
気持ちがほっこりしました。
誰も知らない町に行くということは、
心細いこと。
でも、移住サポートセンターの八田さんが親身に相談に乗り続けて下さったこと、町の方がちょっと声をかけてくれたことで、小川町が誰も知らない町から
頼れる人、話せる人がいる町になった。
「うん。この町でやっていける!」
私がやりたいことも
八田さんみたいに
こうやって人の相談に乗って
必要な人につなげていくこと。
医療とか母子支援という分野にこだわらなくても、私のやりたいことって
できたりするのかも。
なんてことも
八田さんをみて思ったりした。
(このブログを読んで、八田さんファンになった方はこちらをどうぞ!)
そんな私は
近々、小川町の広報に載せていただく予定!(「こんにちは!フレッシュな移住者さん」的なコーナーです。笑)
よし、引っ越すと決めたら
次は
「手放す」だ!!
つづく
水疱瘡になりながらも
寝返りをしたせいちゃん!
よくやった!我が息子よ!
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