ゆったりとした小川町時間の正体

【妹のオグマイです】

小川町のゆったりとした町時間って
なんなんだろうって、よく考える。

「余裕がある」
うーん。この言葉は
なんかしっくりこない。

この前、保育園で
『おじいちゃんとおばあちゃんと遊ぶ会』という行事があり、横浜から
私の母が来てくれた。

保育園のホールに全園児とおじいちゃんおばあちゃんが円状に集まり
その中央で司会の先生がお話しをしたり、園児が出し物をしたりする。

せいちゃんは
その楽しい雰囲気に吸い寄せられるかのように、おぼつかない足取りで一人中央に出ていってしまう。

センターに立ち
気分を良くしたせいちゃんは
手を差し出しながら、
半円になった年中・年長さんの園児にタッチを求めて、ねり歩いていく。
それにニコニコしながら、
対応してくれる年中・年長さん。

先生たちもすぐに連れ戻す様子はなく、ニコニコ。
それを見ている
おじいちゃんやおばあちゃんも
ニコニコ。


その光景を見て母は、
「あぁ、先生もおじいちゃんおばあちゃんも、大人が見守ってくれているのね、ここは。」
と言った。


そうだ。
小川町の人は、
見守ってくれているんだ。
それが、ゆったりとした町時間に
感じられるんだ。


東京にいる頃、
選択肢の多さに、情報に振り回されて、いつも時間がないなって感じていた。
時間があれば、スマホをいじって
溢れる情報を相手に
時間に追われていた。


小川町、不便じゃない?
って言われる。

東京に比べたら、
選択肢が少ない。

ごはんを食べるところは少ない。
けど、
安全で新鮮な食材が買えるし、
ご近所さんの畑からももらえる。

商業施設やテーマパークは少ない。
けど、
窓を開けたら四方八方山に囲まれてて
ドアを開けたら、四季折々の木々、花、虫がいて、
チャリを漕いだら、アメンボが泳いでいる川がある。


この中でしか選べない。

でも、この中で選ぶだけ。
だから、すごくラク。
ちょっとだけ
選ぶことで悩まなくなった。
(他の悩みはつきないけれど。笑)


小川町から東武東上線で横浜にいくとき、和光市を抜けると、地下鉄に入るため、窓の外が暗真っ暗になる。

そこを境に、世界が一変したかのように、空気がピリッとする。
子どもを泣かしちゃいけない空気。

さっきまでの同じ車両にいた人みんながせいちゃんを見守ってくれていたのに、いまはみんなが敵に見える。

大袈裟に言えば、そんな感じ。
なんなんだろ。この境界線は。

『社会で子どもを育てる』
っていうけど、
全然そんな雰囲気じゃない。

小川町にいれば、
それは自然とできそうだけど、
いつもこの境界線をくぐると、
「母親にとって社会は敵だな」と思う気持ちを否めない。


私たちは足りないものに目を向けてしまいがちだけど、
足るを知るに気付けば
少し悩みが減るんじゃないかなと
小川町に来て思うようになった。

そしたら、調べることが減って
顔上げて目の前のものを見るようになって、ニコニコ見守る時間が増えたりしないかな。


目の前のことを見ることで
見えていなかった
いろんな足るを知ることに
繋がっていかないかしら。


横浜からの帰り道
そんなことを考えいたら、
窓の隙間から西日が
兵児帯の中で眠るせいちゃん
あたって、起きそうになる。

寝ててくれ〜!!(⌒-⌒; )



小川町に着くことを
いまかいまかと切望する
私なのでした。笑

パチパチがブームのせいちゃん、
保育園でもらった
せいちゃんの足型と指で作ったウサギさん

0コメント

  • 1000 / 1000